ある日、教室を出ようとしたら、女子の声で呼び止められた。何かと思って振り向くと、隣の席のがヤマトにあるものを差し出してきた。

「あのっ、石田くん、これ書いて!」

 “これ”とは一体何なのかをヤマトが認識する前に、はぱたぱたとその場から走り去っていった。ヤマトは突然のできごとに半ばあっけにとられ、とりあえず手元に残された一枚の紙切れを見下ろした。

 それは学校で使うノートのおよそ半分くらいの大きさで、ピンクと水色のグラデーションの地に動物のキャラクターの絵が描いてある。ヤマトが自分で持っているのは似合わないと感じるようなデザインだ。表の面には名前や誕生日なんかを書き込む欄があり、ひっくり返して裏を見ると、好きな人はいるかとか告白されたことはあるかとか読んでいるだけで恥ずかしい質問が書いてあった。

 ヤマトはランドセルを肩から下ろすと、適当に取り出したノートの使っていないページにその紙切れを挟んだ。ランドセルの中で折り曲げてぐしゃぐしゃにしてしまったら、一応に悪いと思ったからだった。

 ヤマトが再びその紙切れのことを思い出したのは――というより、意図的に意識の内から消していて、ようやく向き合う決心がついたのは――家に帰って寝る直前になってからだった。ランドセルの中身を入れ替えようとしたら、紙切れを挟んだノートが目についた。おそるおそるページを開いて、危険物を扱うように指先で紙切れを持ち上げる。

 こういうのは、はっきり言って苦手だ。ヤマトのため息に合わせて、勉強イスの背もたれが音を立ててきしむ。

 明日、学校に持って行くのを忘れたことにして、うやむやにフェードアウトしてしまおうか。そんな思いつきがヤマトの頭をかすめる。だが、渡してくれたものに対してそんな形で応えるのは気がひけた。

 ヤマトは決意を固めて鉛筆を手に取り、名前の欄に「石田ヤマト」とだけ書いた。答えにくい質問を飛ばして書いたら、ずいぶん空白が目立ってしまった。だからといって、出会ったばかりの相手に自分をさらけ出すのも、面白おかしくふざけたことを書くのも柄じゃない。これをに渡して喜んでくれるかどうか、ヤマトは限りなく自信が持てなかった。

「何書けばいいのかよくわからなくて、ちゃんと書けなかった。……ごめん」
「全然。ありがとー、石田くん」

 次の日。書こうとしてはやめるのを繰り返して、結局空欄だらけの紙切れを差し出したヤマトに、はあっけらかんと笑って言った。その姿を見ていると、安心したような、拍子抜けしたような、うまく説明できない気持ちになる。やっぱりこういうのは苦手だと、ヤマトが心の底から思ったことだけは確かだった。

2020/08/13

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