「ちゃんって、キスしたことある?」
ある日の放課後。お仕事の時間まで少し余裕があるというエリと教室に残ってお喋りしていたら、彼女の口から唐突にそんな一言が飛び出した。
「あるけど」
「えっ! い、い、いつ!?」
「んーと、年中のときかな」
「よ、よ、よ幼稚園!?」
あの時は「お姫様は王子様のキスで目を覚ましました」的なものの真似をしただけで、ちゃんとした意味なんかわかってなかったけど……などと私が過去の甘酸っぱい思い出を振り返っている間、エリの顔色は赤くなったり青くなったり白くなったりを繰り返していた。テレビの中の、いつも強気で堂々としている花嵐エリ様と同一人物だとはちょっと思えない動揺ぶりだ。
「で、どうして急にそんなこと聞くの?」
「実はね……」
このあいだの総選挙で注目を浴びたのをきっかけにお仕事の幅を広げつつあるエリは、とある映画のオーディションに挑戦することになったんだって。で、その映画というのが、最近すっごく人気のある少女漫画の実写化。となると、避けて通れないのが恋のエピソード。だけどアイドルは恋愛禁止。どうやってお芝居すればいいのか全く見当もつかない。それで身近な友達の話を参考にしてみようと思って、最初の質問に至った……ということらしい。
「だったら、私と練習してみる?」
私がそんなことを提案してみたのは、ほんの思いつきだった。まぁ、あわよくばって気持ちが全然なかったわけじゃないことは認めるけど、もしも引かれた時のために、冗談だよ、って笑って言う準備をしてた。だけど、彼女の返事はまったく予想外のものだった。
「――みる!」
「えっ、本気?」
自分から言い出しておきながら思わず聞き返してしまった私の前で、エリは素早く上履きを脱いで椅子の上に立ち上がると、ビシッとポーズを決めて宣言した。
「当然よ。何事も本気で挑戦してこそ、宇宙のセンター、花嵐エリ様なんだからん!」
冷静に考えるとどういうわけなのか全然わからないんだけど、そういうわけで、私たちは今、こうして向かい合っている。エリの長いまつげが伏せられるのを見てから、私もゆっくりと目を閉じる。私たちの影が1つに重なるところを、窓の向こうの夕焼けだけが見ていた。
2019/05/25