※夢主の外見描写あり
デーモンカード本部、六祈将軍に与えられた居室の一角。豪奢な彫刻の施された鏡台の前に、一人の女が佇んでいた。
彼女の名は。ユリウス元将軍の突然の離反を受け、急遽六祈将軍の空いた席を埋めることになった存在だ。長くユリウスの側近を務めてきた彼女はDCの戦闘員としてそれなりの実力を有してはいたものの、ダークブリングの使い手としても魔導士としても、特別に秀でたものがあるわけではない。誰もがこの奇妙な采配に首を傾げたが、彼らの王たるルシア・レアグローブにその真意を尋ねることのできる者など、今のDCには一人も存在しなかった。
が長年の習慣となっている髪の手入れを止めて窓の向こうに目を向けると、黒曜石のようにつややかな髪が彼女の背中を滑り落ちた。窓の外では、静かに雪が舞い降り始めていた。
が初めてユリウスと出会ったのも、こんな雪の日のことだった。
*
その日のはいつものように物陰に座り込み、手ごろな獲物を探していた。かじかむ指先に時折息を吐きかけながら通りを行き交う人々を物色していると、寂れた寒村にしてはずいぶん身なりのいい青年が歩いてくるのに気がついた。昼間から、酔っぱらってでもいるのだろうか。呑気に鼻歌を歌いながら、踊るような足取りで通りを進むその青年から、ちょっと小銭を分けてもらうのは簡単なことだとは考えた。
「おっと、ごめんなさい」
すれ違いざまにぶつかったふりをして、青年の懐からすばやく財布を抜き取る。うまくいったと思ったが、不幸なことに青年はが思っていたよりずっと素面に近かったようだ。彼はが財布を盗んだことに瞬時に気づき、その場を離れようとするを呼び止めてきた。
「君、待ちたまえ」
待てと言われて、素直に待つ泥棒がいるものか。は心のうちで嘲りながら、旅人には勝手がわからないだろう路地裏へ向けて一目散に駆け出した――少なくとも、自分ではそうしたつもりだった。なのに、たったの二、三歩踏み出したところでの体は突然言うことを聞かなくなった。頭ははっきりしていて早く逃げなくてはと考えるのに、足どころか指の一本さえ、凍り付いたように動かすことができなくなったのだ。
青年の使う奇妙な技のおかげで恐怖に震えることさえ許されず、はただそこにじっとしていることしかできなかった。その間に青年は優雅な足取りでの正面に回り込み、穏やかな声でこう告げた。
「君、僕と同じ髪の色をしているね」
「……はぁ?」
金を返せと怒鳴られるか、役人に突き出されるか。完全にそのどちらかしか想定していなかったは、青年の唐突な一言に唖然としてその場に立ち尽くした。その頃にはもうの体は自由に動くようになっていたのだが、あまりに予想外のことを言われたために、自分で自分の体の動かし方を忘れてしまったようだった。
「美の共通点だよ。僕のように美しい髪を持って生まれてきたことを誇りにするといい」
の石炭のように黒い髪はこの地方では珍しく、今までは煤のようで薄汚いと蔑まれてばかりいた。それを美しいなどと言われたのは生まれて初めてのことだったので、は思わず頬が熱くなった。
青年がそれだけ言って通り過ぎようとしたことを、幸運と考えるべきなのはわかっていた。だがは、この奇妙な青年に見逃されたことに対して、なぜだか猛烈に腹が立った。プライドなんてものはさっさと捨ててしまわなくては路地裏で生きていけないというのに、気づけば青年の背中に向かって叫んでいた。
「待て! 金を返せと言わないのか」
「今日のところは、僕の美しさに免じて許してあげよう」
さっきからわけのわからないことばかり言う青年は、ますますわけのわからないことを言って微笑んだ。
「……ところで君、スリなんかより、もっと美しいものに興味はないかい」
*
こうしてユリウスは、に魔法の才を見出し、DBを与え、美しさというものを教えた。
だが、どんなに価値のある美術品に触れようとも、にとって一番美しい存在はユリウスその人だった。彼に拾われる以前のは、ただ今日をどう生き延びるかだけに必死で、美しいものとは一体どういうものなのか、想像してみようとしたことすらなかった。だがユリウスと出会って、世界中の人々から悪とされるDCにあってなお、己の道を見失わない彼の精神こそ何より尊いものだと感じるようになった。それなのに、ユリウスはDCからいなくなった。ユリウスという、唯一無二の輝きを見失ったひとりを残して。
は窓の外から視線を戻すと、鏡台の前に置かれた鋏を手に取り、鈍く光るその刃先を自分の長い髪に向けた。ユリウスと出会ってからずっと伸ばし続けてきた黒髪が、はらはらと床に散る。
DCを裏切った、ユリウス・レイフィールドの抹殺。それが、六祈将軍としてに与えられた最初の仕事だった。
2019/10/11